四隅突出型墳墓

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西谷墳墓群 2号墓

日本版王家の谷と言われる「西谷墳墓群」が出雲にあります。
現在27基ほどの墳墓が見つかっています。
その中でも1~4号墓、6号墓、9号墓は大きな四隅突出型墳墓です。
四つの隅が飛び出ている独特の形をしています。写真はその2号墓です。
これらは2世紀後半から3世紀半ばに造られました。
因みにこの時代は邪馬台国の初期、卑弥呼の時代に近いものです。
出雲周辺国と日本海沿岸に広がりをみせていることから、 古代出雲国家の大きな影響力を
想像させるものです。
               四隅突出型墳墓の分布図
四隅突出型墳墓の分布            「民俗学伝承ひろいあげ辞典」HPより引用

下の写真は3号墓から出てきた「特殊器台」です。この上に土器などを置くものです。
この特殊器台は吉備国でしか作られていません。
墳墓の分布では見えませんが、出雲と吉備の間にはまた強い関係があったと考えられます。
出雲の国王の葬儀には吉備から人がやって来たと見られています。

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ここの四隅突出型墳墓は分布地域の中でも最大級のものです。出雲国を治めた王家の墓
との説が有力です。
国立民族学博物館名誉教授の広瀬和夫氏によれば、この墳墓の見事な葺石(ふきいし)は奈良
県桜井市の前方後円墳「箸墓古墳」にも影響を与えました。
この遺跡は出雲と日本海沿岸地域、吉備を中心とする瀬戸内海地域、そして大和には強い関係
があったことを示すものと考えます。

そしてなぜか3世紀半ばにこれだけの墳墓を造って来た王家が突然消滅します。
古事記を紐解く時、この謎は避けて通れないものです。

 

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