斎宮歴史博物館を紹介します。 近鉄斎宮駅から下車徒歩15分の場所にあります。斎宮(さいぐう)とは斎王(さいおう)が住む宮です。 斎王とは天皇に代わり伊勢の大神を祀る人です。 一人の天皇に一人の斎王がいました。 古事記では豊鉏日売(トヨスキヒメとあるがトヨスキイリヒメの原文の間違いか?)が 伊勢の大神を斎き祭ったとあります。 日本書紀ではもう少し詳しく書かれます。 崇神天皇の御世に「神の威強すぎて共に住むことはできない」とし「鏡」を王宮から出し、 大和の笠縫邑(かさぬいのむら)で豊鍬入姫命が祀った。 その後、垂仁天皇の時代に倭姫命(やまとひめのみこと)が後を継ぎ、鏡とともに各地を廻り、 伊勢に着いた時、天照大神が「この地はしきりに浪の打ち寄せる、傍国(中心ではない傍ら の国)の美しい国である。この国に居りたいと思う」と告げられたので、伊勢に祀ったと されます。 これが斎王また伊勢神宮の始まりとされます。 天皇の娘、5才から20才までの皇女から占いで選ばれました。 この歴史館で取り上げている斎王は8才の時にここにやって来ました。 天皇が崩御されるまで都には帰れませんので、旅立ちは父親との永遠の別れとなります。
奈良時代から始まる国家事業ですので、素晴らしい品々が伝わっています。
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これは「硯」です。
こうした歴史や展示品を紹介しています。 伊勢に行かれましたら、内宮とここはぜひご覧になってください。 外宮に行かないと片参りとか言うのは後から造った外宮のキャッチコピー、マーケティングの 一環ですのでまぁ気にすることはありません。 エリザベス女王も先日のG7代表も内宮だけでした。 崇神天皇の時代に「神の威強すぎて」というのは鏡が祟ったことを意味します。 紀によれば天孫降臨時、天照からニニギに「この鏡を私だと思い常に共にいなさい」とまで 言われて持ってきた鏡を外に出しました。 なぜ皇祖である神代が祟ったのか。 この件は別の章で検証します。