仏教公伝と神社

神社は鳥居・本殿・御神体という構成で造られています。寺は山門・本堂・御本尊です。

代表的な3要素が一致しています。

どちらが古いか?一般的には神社の方が古いとみられがちですが、この3要素は中国で2世紀に成立しています。インドは仏像を逆輸入したので3世紀とみられます。

その頃、倭国は邪馬台国あたりの時代です。全国的に広まっていたのはト骨占いです。

つまりまだ神は浮遊していました。寺の方が古いのです。遺構をみても神社は7世紀後半からの建立とされます。

仏教がやって来てその影響で「神を常在化」するために神社を建立し、併せて記紀を編纂し天皇の祖は神であるとして万世一系、現人神構想をつくり上げていったのでしょう。

律令制には必要な概念です。

再度この点に触れたのは最近、物部氏の河内の邸には寺(渋川廃寺跡)があったという説を以前よりも頻繁に聞くようになり気になったためです。

まだ矛盾が多く裏は取れてません。

もし本当ならば物部氏は仏教に反対したのではなく、それまでの特殊な才能を持つ者(巫女とか)だけが神の意思を確認できるという祭祀から、神を常在化し誰でも祈ることが出来るようにすることに反対したのではないか。


神社建立は日本における宗教改革になりますので、神事を担っていた物部氏としては一族の勢力減になり見逃せなかったでしょう。

「倭王 ヤマトの源流」斉藤登著 つむぎ書房刊

 

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