古墳はその一族の本貫地に築かれるのが原則でした。
そのために同じ一族か、どうかがある程度分かります。
古市・百舌鳥古墳群が築かれる前、大和に大型古墳が築かれていた時代は2代ずつ大王を出し点々と場所が移ります。違う勢力が大王を輩出していました。
つまり王統は存在しませんでした。
4世紀後半になると古市・百舌鳥古墳群に大王墓が造られ始めます。その中でも大王墓に着目すると古市→百舌鳥→古市と規則正しく造られています。もし継承者争いがあったならこの順序が乱れていいはずです。
また「倭の五王」の記録から倭姓を名乗っていることが分かります。
これらから河内の同じ勢力が大王を出していたと考えられます。
倭国初の王統の誕生です。
この河内王朝の始祖を応神天皇と記紀は呼んでいます。
応神天皇は確かに実在したという結論になります。
ただし応神陵は従来の説とは異なり、古市古墳群の最初の大王墓「仲津山古墳」となります。
詳細はこちらを参照ください。「倭王 ヤマトの源流」斉藤登著 つむぎ書房刊