
邪馬台国畿内説が考古学学会では優勢であるようです。
その一方、邪馬台国は北部九州にあったがその後ヤマトへ遷って来たとする説を唱える本などもよく見かけます。
まず邪馬台国とは何かを見直してみるべきです。
倭国初の大王が住まう首都国です。
つまり当然大王墓がある地域でなければなりません。また多くの国々が共立したため各国から人々が集まる都市遺跡もあるはずです。
これらの存在が確認されているのは奈良県桜井市です。
21世紀に入り多くの考古学史料が発見されています。
未だにこうした遺跡が出てこない地域は候補になり得ません。
邪馬台国がどこにあったかでなく、大和にあったとして日本の歴史はどう展開したのかを検証する時代になったと考えます。
詳しくはこちらを参照ください。こうした視点で邪馬台国とヤマト王権の関係を見直しています。アマゾンのリンクを張っておきます。