仲津山古墳
河内王朝の前、大和に大型古墳が造られていた時代、その分布から3,4つの勢力が2代ずつ大王を出していたことが分かります。
血縁関係で継承が始まったのは4世紀の後半の河内王朝からでした。
なぜ記紀編纂者は万世一系を描いたのか。
彼らにも都合がありました。
律令国家実現という時代の要請です。
律令制には神に繋がる唯一絶対である特別な存在が求められます。そのため国として律令制を実施できたのは日本だけでした。
逆に描けないこともあります。内乱によっての即位を否定すること、諫めることです。
なにしろ国内最大のクーデター「壬申の乱」を起こし天皇となったのは天武天皇、そしてその后は持統天皇です。
記紀はこうした要請、背景の中で生まれてきました。
なぜ男系天皇に限るのかも当時の状勢を知るとみえてきます。
枝葉末節な感情論ではなく、伝承と事実を突き合わせて万世一系、男系天皇を創り出した記紀の本意を知りましょう。