大王墓からみる崇神の非実在性

初代神武と10代崇神の違いは、神武は大和という一地方国の王で、崇神は倭国初の大王(王の中の王)です。

日本書紀は崇神・垂仁・景行・成務と続きその後の14代仲哀の后、神功皇后を卑弥呼の時代(3世紀)の人物として描いていますので、崇神の墓はもっと古い時代のものでなければなりません。

しかし3世紀半ば築造の箸墓古墳以前に大王墓はありません。

崇神から仲哀は創作された人物となります。

河内王朝の存在は「倭の五王」、古市・百舌鳥古墳群より確認できますが、その中では武烈のみ大王墓がありません。

武烈の非実在性は従来指摘されてきましたが、考古学史料からも裏付けられます。

倭王というタイトルは天皇号による先入観、勘違いを防ぐために、実在した倭国の大王を明らかにするために付けたものです。

 

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