ト骨からみる卑弥呼の出身地

ト骨

ト骨

魏志では卑弥呼は「鬼道を事とし、よく衆を惑わす」とあります。

倭国大乱の後、各国は政治指導者ではなく宗教指導者を女王として共立しました。

では、祀る神は何であったのか。仏教・儒教以外のもののために魏志では鬼道と呼んだのでしょう。

この時代、大型銅鐸祭祀など各地域固有の祭祀も存在しますが、倭国いう広範囲な統治ともなるとこうした地域限定のものでは成立しません。そうするとト骨占いという弥生時代の早い時期から日本全国で行われていた祭祀、ト占を指す可能性が高いと考えられます。

弥生後期に山陰の青谷上寺地で骨の両面を使える新しいタイプのト骨が生まれました。(千葉大学 國分氏はケズリD・焼灼Ⅲa類と分類)
そしてこのタイプのト骨がヤマトの唐古・鍵に渡り、その後、前方後円墳とともに全国へと広がります。古墳だけではなく卜占も斉一化の動きがみられるのです。
外洋航海が盛んでト占需要も大きく最先端の地であった山陰が、卑弥呼の出身地として浮上します。

「倭王 ヤマトの源流」(つむぎ書房)では、当時の政治情勢、各国が求める大王共立の条件などからこの謎を紐解いています。

「倭王 ヤマトの源流」斉藤登著 つむぎ書房刊

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