邪馬台は当時の古代中国語では「ヤマト」と発音するという説が有力です。魏への使者が国の名は「ヤマト」と答えたための当て字なのでしょう。倭国初の大王墓は奈良県桜井市の箸墓古墳です。第2代大王の台予の墓は3kmほど離れた西殿塚古墳です。その後大王墓は磐余、柳本、佐紀へと転々と移ります。そして河内王朝が登場します。このように古墳、大王墓を追いかけると邪馬台国、大和国は同じものであることが分かります。詳細は「倭王 ヤマトの源流」つむぎ書房でご覧ください