大和建国へ(3) 東征中に配下に入った者と大和の奇跡

大和建国のあと2世紀後半に起きた倭国大乱まで半世紀ほどしかありません。
神武天皇一族、九州から共にやって来た大伴氏、最後に加わった物部氏と周辺の在
住一族により急速な国造りが始まりました。

サヲネツヒコは神武勢が瀬戸内航行中に、亀の背中の上に乗って釣りをしていた人
物で、海路に詳しいというので仲間になりました。
その後、紀の川沿いの五條市、吉野の人たちを味方につけ、最後はニギハヤヒ、物
部氏の祖が帰順します。
盆地南部を取っ掛かりに勢力を伸ばしていったと古事記は伝えます。

ヤマトタケルの東征など妻を連れて行った場合、その旨記されますので、后は東征
中、九州にいたようです。
大和が神武の下に治まった後に、后と大后の話しになりますので、橿原の宮で即位
した後に后を九州から呼び寄せたようです。

大和の奇跡
なぜわずか半世紀ほどの間に大和は強大国となり得たのでしょうか。
この急速な発展はなぜ出来たのか。
西都原考古博物館の見解を館内資料からまとめてみます。
 北部九州からは石斧が多く出土する。近畿地方の集落からは石斧は少なく石包丁
 が多く出る。
 つまり石斧が多く出土する北部九州は、樹木を伐採しての開拓に多くの労働力を
 割かなければならなかった。近畿地方はこの開拓の労力から解放されていた。
 この差が両者の蓄積された体力として大きく開いていくことになる。



ここから倭国大乱後に連合体制の首都となる大和の快進撃が始まります。

 

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