大和建国へ(2) 九州から神武に従っていた関係者

イツセノミコトは生駒でのナガスネビコとの戦いで負傷し、戦死します。、
タギシミミは神武天皇の九州で娶った后の子です。神武崩御の後、謀反を企てます
が失敗します。
エウカシ(兄)が宇陀の屋敷に押機(天井を下げる仕組み)という罠を仕掛けた時、
オトウカシ(弟)がこれを神武勢に知らせました。この時、エウカシを討ち取るの
に活躍したのが、大伴氏と久米氏の祖(大伴氏の配下の者と見られる)です。
大伴氏は後に加わる物部氏と共に軍事担当です。
特に大伴氏は皇族の親衛隊のような位置づけで、宮廷警護をも担当します。
九州からの部下のためでしょう。天皇の信任の篤さが見られます。


  古代豪族の配置図 「星の町 交野市HP」より引用

物部氏は東征時に最後に従った一族です。
また最終的には瀬戸内海勢に加担しましたが、尾張とも関係が深く、どうしても寝
返った一族との意識が周辺の関係者にはあったかも知れません。
しかしながら旧臣の一人ですし、大和建国には無くてはならない奈良盆地在住の一
族ですので、上の図のようにすぐ王族の横においた配置は理解できます。

神武一族(兄と皇子のみ、后は連れていない)と大伴氏一族で東征に出たと古事記
編纂者は記しています。
やはり国の一族郎党、大船団を率いてやってきたイメージとはかなり異なります

 

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