奈良盆地の地形に触れたついでに、従来謎とされてきた万葉集にある舒明天皇の歌 を考えてみます。 「国見」の歌 大和には群山あれど とりよろふ天の香具山登り立ち 国見をすれば国原は煙立ち 立つ 海原はかまめ立ち立つ うまし国そ あきづ島大和の国は 「大和にはたくさんの山々があるが、特に頼もしい天の香具山に登り立って国見を すると、広い平野にはかまどの煙があちこちから立ち上がっている、広い水面には かもめが盛んに飛び立っている。本当によい国だね(あきづ島)この大和の国は」 (小学館「日本古典文学全集萬葉集」巻一より) この歌の謎とは、江戸初期の学者契沖もが言っているのですが「和州には海なきを、 かくよませ給ふは、彼山より難波の方などの見ゆるにや」 つまり標高150メートル前後の天香具山から、大阪湾は見えないよね。おかしい歌だ よね。 この疑問に対し、後の国学者たちは、天香具山の麓にある埴安(はにやす)の池を海 といったのだと考えました。この説は広く受け入れられ、以来、この「海」は埴安 の池というのが通説となりました。 しかしやはり納得できない人が多く、同じ質問が繰り返されたようです。 伊藤博氏の『萬葉集釋注(訳注)』でも、この句について次のように注記しています。 天香具山の周辺には、埴安、磐余など、多くの池があった。「海原」はそれを海と みなしたものであろう。「かまめ」は「かもめ」の古形で、その池のあたりを飛ぶ 白い水鳥をかもめと見なしたのか。 別の見方をしてみましょう。 以前紹介しました奈良盆地の大和湖の推定地図です。大和湖は土地の隆起によって消えていきました。現在の国土地理院による現在の標 高データからの推定ですので、歌が作られた当時(7世紀前半)のカタチとは違う かも知れませんが、この大和湖が見えていたのではないか。 そこで景色というのは一体どのくらい先まで見えるのだろうか。 具体的には大和湖が天香久山から見えるのだろうかを計算してみました。
懐かしい直角三角形の三平方の定理です。 地球の半径はおおよそ6,400km、6,400,000m。 cは地球の半径に天香久山の標高152mを足したもの。 bは地球の半径に大和湖の想定水面高さ47mを足したものです。 a = √ (c^2 - b^2) その結果 aを計算すると36.6kmとなりました。 天香久山から唐古鍵までは8km。36kmあれば枚方市辺りまで行きますので、 もちろん天気に拠りますが、大和川が流れだす王寺町辺りに大和湖が少しでも残 っていれば充分見えたはずです。 舒明天皇の歌にある海は大和湖であった可能性が高いと思われます。 さて、36kmで枚方となれば、もしかして当時は内陸まで入っていた河内湖(大 阪湾)が見えたのではないか。 先ほどの方法で152mの山から海抜0mまでではどこまで見えるのかを計算する と43kmほどまで見えることが分かりました。 十分視程内にありそうです。 ところが生駒・金剛山地が邪魔をします。標高が低い所を探して信貴山と二上山の 間に目を付けたのですが、それでも90mあります。
計算上ですが50m以下であれば、天香久山から河内湖が見えるはずなのですが、 奈良盆地の西の山々は残念ながら視界を遮るようです。 河内湖まで見通すのは無理だったようです。 机上の論理ですので、近いうちに実際に行って見て確かめてみたいと思います。
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