
神武天皇の実在性について有った、無かったと今も研究者により議論が続いていま
すが、先に述べたように魏志倭人伝の記述は、大和国の成長過程のある一時期を表
したものです。
女王卑弥呼共立の70,80年前にその国を男子の王が建国したとあり、邪馬台国
の場所が纏向とほぼ確認できた今、この王が後世に神武天皇と呼ばれるようになっ
た人物であることは歴史の流れから見て間違いないしょう。
ただし一地方国であったわけですから、大王という複数の国の王の中の王という天
皇と言う名称は本来相応しくないものです。
建国の祖として敬意を払いそう呼んだものと思われます。
一冊の本を紹介します。産経新聞取材班著「神武天皇はたしかに存在した」産経新
聞出版社刊です。 [産経新聞取材班, 2016]
要旨は神武東征経路の要所のほぼ全てには東征の伝承が残っている。その多くは説
話であったり、祭りであったりの形で、現代も息づいている。語り継がれるに足る
見聞があったればこそ、これだけ「完全」な形で伝承となっているのである。
こうして東征があったのだから神武天皇は存在していたはずである、というもので
す。
ここで取り上げるのは神武天皇ではなく、その存在の証しとしている「神武東征」
の有無ですが、この本にあるように東征経路の一部ではなく要所、要所に伝承や祭
りがあるから東征はあったとする見方には賛意を示す方もいるのではないでしょう
か。
私も神武天皇と呼ばれるようになった人物の存在を認め、東征もあっただろうと考
えていますので言下に否定するものではありません。
ただある危惧をどうしても拭い去ることが出来ません。
記紀編纂者の掌の上で転がされているのではないかという疑念です。
伝承は作られることもあるというのは、「天孫降臨の地は高千穂町か霧島連峰か」
でお話ししたように、高千穂町に高天原があたかもあったかのように伝承だけでは
なく神社までが作られている例で知る事ができます。
また伝わっている話しが明らかに変わっているものもあります。
例として前掲書より引用します。
<狭野尊(さののみこと)、宮崎ヘ向はセラル時、土民ノ奉献セシ馬ニ召サセ給ヒシ
地ナリ・・・・・・>
宮崎自動車道高原ICに近い宮崎県高原町の「馬登(まのぼり)」。
この地にはカムヤマトイワレビコノミコト(神武天皇)が長じて東に向かった際、
住民たちに見送られた伝承が残っている。その時、イワレビコは馬上だった。
今も残る石碑の文言は、この経緯を語るものである。
この伝承には明らかな間違いがあります。神武東征当時、1世紀末から2世紀初め
頃、倭国に馬はいません。
これは魏志倭人伝にも馬はいないと書かれ、遺跡からも確認されていることです。
猫、馬はいません。
倭国が朝鮮半島へ出兵した4世紀末頃から馬はやって来ました。
本書でもこの点は指摘しており、南九州は放牧に適した地であり馬が多く、また馬
は権威の象徴であったために後世に神武天皇と結び付けたものだろうとしています。
何もない所に話しをでっち上げたというものではありませんが、伝承は変わっていく
ものであるということ、そのまま信頼していいものではないということです。
記紀は天皇を天、神に繋がる存在であることを示すために書かれました。
神社は書に接する機会がない、字が読めない庶民にも神を知り、丁寧に祀る重要性
を知らしめるために建立されました。
そのため記紀における重要な場所には古くから神社があります。
私の危惧はここにあります。
伝承があまりに見事に残っていること。しかも瀬戸内海を通るコース上にです。
広型銅矛の分布、鉄器・銅鏡の分布から豊後水道は北九州勢力に押さえられて
いました。中国大陸との直接取引も見られる日向の外洋航海能力は高いもので
したので、北九州という大勢力が閉鎖している豊後水道は避け、太平洋を通っ
た可能性が極めて高いのです。

如何せん小さな軍勢の日向軍。吉備国と呼応して吉備勢が敵勢を誘き寄せている間
に、豊後水道を通り抜ける手も考えられますが、当時は風待ちもあり携帯電話もな
いのですから、リスクが高すぎます。
また伝承だけでなく、神武天皇に関係する地、若しくはその近くには延喜式に載る
神社もしっかりと存在します。
あまりに見事に残る数々の伝承と神社の存在。これは何かからくりがあるのではな
いか。
そこで思い至ったのは、神社にはもう一つの目的、役割があったのではないかとい
うこと。
神に人格を与え、その居場所を示すためだけではなく、その地に関する記紀の話し
を伝え広め、残していくという役目。
当時は記紀に関係する神社はそれが正式な役割だったのではないか。
「これだけ立派な社を、それも国が、何もなかった所に建てるわけはない」と訪れ
た人々は思ったことでしょう。
現在の私たちも記紀編纂者に操られている、彼らの掌の上で転がされているのでは
ないかと懸念を持つのです。
記紀という書は真実を語っている場合もありながら、神功皇后のように明らかに編
纂者が作り上げた登場人物や物語もあります。
史実を見極めるためには考古学という物証と歴史の流れをも併せて検証していくべ
きです。
神武東征の有無については、否定する材料もありませんが、肯定する確固たる証拠
もありません。状況証拠から「東征」はあった可能性があると言えるだけです。
これからも引き続き検討を進めていくことにします。
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