物部氏を追いかける(6) 物部氏は祭祀一族

まず前回まで考古学に関連した、つまり物証である「高地性集落の分布」、「大型
銅鐸の出土地」、「銅鏡の年代と配布分布」、「近畿から尾張・東海地方の地形」
などから見た大和建国時代の奈良盆地の戦いの様相を推測してきました。
結果、当時のこの地の戦いは記紀の記述とは違い、瀬戸内海勢と尾張国を中心とし
た東海地方の勢力との戦いであっただろうととの結論を得ました。

次に日本書紀の記述をもう少し詳しく見た時に注目すべき点は、以下のものでした。
・尾張軍に属すると思われるナガスネヒコという強敵が現れ、生駒山で皇軍は敗北
・熊野への迂回という非現実的なコース(長い距離・険しい山岳の修験者道)で再
 び中州(うちつくに)に入る
・ナガスネヒコの妹を娶ったニギハヤヒが神武天皇と同じ天孫族同士であることが
 分かり和解が成立した。
 言うまでもありませんが天孫族という一族は実際にはいません
・ニギハヤヒはナガスネヒコを討った。その時の状況は、軍勢同士の戦いではなく、
 ニギハヤヒが成敗するというカタチだったと見られる
・ニギハヤヒは神武天皇に帰順した

では、これらから記紀編纂者は何を伝えたかったのか、裏にある事実は何だったの
かの検討を進めてみます。
奈良盆地の争奪戦において、瀬戸内海勢力の懸念は北九州勢の動きであった。
奈良で尾張勢との戦いが始まり、しばらくすると瀬戸内海を通じた交易を北九州勢
が再び閉じる姿勢を見せ始めたために、吉備国からは鉄材や銅鏡を渡せと再三再四
と使者を送っていた。
瀬戸内海西部では一色触発の高い緊張状態が続いていた。
そのため奈良盆地奪回への瀬戸内海西部から支援することは難しかった。
北九州勢は広型銅矛圏を広めるために伊予国にも渡し、豊後国には多くの鉄材や銅
鏡などを与えていた。これにより豊後水道の守りは強固なものになっていた。
瀬戸内海勢の不安はまさしくその豊後水道から、四国南の太平洋ルートを通り、大
阪湾へ攻め込まれること、淡路島周辺から瀬戸内海西端の東西からの挟撃を受ける
ことであった。
そこで南九州勢、日向へ豊後水道南側の太平洋を重点とする防衛を依頼した。
日向から鉄器や銅鏡などの出土はほとんど見られないため、北九州諸国の連携から
は外されていたとみられる。
そのために瀬戸内海勢力からの海上防衛の依頼を受け入れ、依頼された以上の奈良
盆地戦への直接派兵を行った。

尾張国が奈良盆地に侵攻してきた時、物部氏や在住の他の一族の人々は困惑した。
物証から見ると物部氏は尾張国での大型銅鐸を作る工房を作ったり、渡来人の工人
を送ったりと協力をしてきましたし、この戦いにおいても在住一族らの支援は必須
ですので、尾張国はこうしたこの地の人々を駆逐するようなことはしなかったはず。
瀬戸内海勢力との関係が深かった物部氏は尾張勢に味方することは躊躇したが、生
き残るためには少なくとも味方の振りだけはする必要があった。
ナガスネヒコの軍勢は大変に強かったと書かれます。別の言い方をすれば手強かっ
たのはこの軍勢だけ。
それは何故だろうか。
モチベーション高く、最後まで頑迷に神武勢との和解を拒んだことから推測すれば、
致し方なく加勢していた奈良盆地在住の一族とは明らかに違う軍勢。
尾張国からやって来た軍勢だったためではないか。
河内湖(大阪湾)を奪うための戦いなので、奈良盆地西部、大和湖の西側を中心に
尾張から来た精鋭を配備していた。

物部氏とは一体何者なのか。
今までの検討内容から考えれば、古来より続く磐座信仰の三輪山、またその近くで
銅鐸という祭器を生産し、
日本書紀では
「崇神天皇の御世に大物主の祟りが起きた際には、物部(もののふ)の
 八十(やそ)**に多くの平瓮(ひらか)***を作らせ、大田田根子(オオタタネコ)
 を以て祀らせることになった。
 ここで疫病はようやく収まり、国は鎮まった。」とあります。

**: 「もののふのやそ」とは物部氏に卒いられていた武人の伴。数が多かったた
  めに物部の八十氏と呼ばれた
***: 平らな形をした祭器

奈良盆地南部、若しくは南東部に在住していた一族であり、神の声を聞くという
特殊能力が必要であった祭祀を行うことが出来、大陸との交渉も行えて潤沢な材
料、工人を集める力を持ち、近畿から東海各地の首長と大型銅鐸を介しての関係
を持っていた有力な一族という姿が浮かんできます。

図 11 清水風遺跡出土の土器の絵画から想像・再現した「羽飾りの戦士」
  (橿原考古学研究所蔵)

 
図 12 清水風遺跡出土の土器の絵画の「鳥装の巫女」(橿原考古学研究所蔵)

清水風遺跡は、天理市庵治町、田原本町唐古にあり、調査した橿原考古学研究所に
よると唐古鍵の分村ではないかとされます。

羽飾りの戦士の持つ斧のような武器は木製で、盾は実用品としては薄すぎるもので
す。
戦闘ではなく祭祀用に用いられたものと見られます。

 

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