楯築墳丘墓 頂上
吉備には弥生時代最大の「楯築(たてつき)墳丘墓」があります。 3世紀半ばの大和の箸墓古墳以後のものを古墳。それ以前のものを墳墓、墳丘墓 と呼びます。 楯築は最近の調査で2世紀半ばまで遡れるのではと言われます。 当時、これだけのものを造ることが出来る勢力が吉備には存在しました。 上の写真のように墳丘墓頂上には大きな石が並んでいます。 これを見て「謎のストーンサークル」という人もいますが、これが何モノである かは解明されています。
特殊器台 出雲弥生の森博物館蔵
出雲の西谷墳墓群から出土した吉備の特殊器台です。 葬儀の時のみに使われるもので、この上に壺を置きます。 出雲の王の葬儀には吉備からわざわざ人がやって来たようです。 吉備と出雲の良好な関係を証明するものでもあります。

円筒型埴輪 近つ飛鳥博物館蔵
その特殊器台は「円筒型埴輪」となっていきます。 これが古墳の上にズラッと並びます。人は入れません。 つまり結界を表します。 このようにして吉備の文化は大和を中心に展開していった前方後円墳文化にも大 きく影響していることが分かります。 吉備なしでは、倭国大乱を経ての邪馬台国建国はあり得なかったとも言えます。