宮崎県のほぼ中央部に位置する西都原古墳群。
日本最大級の古墳群で3世紀半ば辺りから7世紀前半にかけてのものと推定されて
います。
300基以上もの古墳が造られました。
今は公園として整備されていますが、車で中を走り回り、各スポットの駐車場に
停めて見学するような広大な敷地でした。
出土品も多く、考古博物館に展示されています。
良質な鏡も出土しています。
この地の繁栄は予想以上のものです。

弥生土器ですが面白いことに瀬戸内海地方のものが出土するとのこと。
日常生活で使ったものではなく、どうも食べ物など贈り物を入れて運んだのでは
ないかと見られています。
また瀬戸内海地方からこの地には石包丁が流入していることも分かっています。
今までお話ししてきましたように四国沖、太平洋ルートの防衛は瀬戸内海勢にと
っては重要なもの、しかしその負担は大きいもの。
これらの品の出土は瀬戸内海地域と日向との提携関係への重要な示唆だと思える
のです。

九州からは石斧と石包丁が両方が出土します。
畿内からは石斧は少なく、石包丁が多く出土します。
これが意味するところは、九州では稲作のために木々を切り倒す必要があった。
多くの労働力をそちらに割かなければならなかった。
畿内はその必要がない広い平野、盆地があった。奈良盆地は縄文時代は水郷でし
たし、弥生時代は湿地帯。
この潜在的な生産能力の差がその後のこれらの地域の運命を決めていったのでし
ょう。

これは「璧」と言います。
中国で殷から漢代で作られたたいへん珍しい宝器です。(AD1-2世紀)
ほんの一部の遺跡からしか出土していません。
どうして南九州から璧が出てきたのか。
日向は大陸との直接取引をやったとしか思われません。
他の地域が入手した場合、手放すことはないでしょう。
丹後と同じように高度な航海術で繁栄を築いた地域なのだと思われます。

これだけの古墳群を造った日向は気候に恵まれ、豊かな繁栄を誇った地でした。
その一端を垣間見たような気がします。
やはり現地に来なければ分からないことが多くあります。
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