ヤマト国の始まりを考える(8) 物部氏とは

物部氏に興味を持つ人は多いと思います。
「古代最大の豪族」とも「謎の豪族」とも呼ばれます。
この人物を追いかけていたのですが、その内容は本にすると10ページを超えるの
ではと思うほどの分量です。
そこでこちらでは要約を紹介することにしました。

まず結論から言えば「出雲」と同じ特徴を持ちます。
つまり大和発展の歴史の中で大きな役割を演じた一族だということです。

日本書紀で神武天皇の大和入りよりも前にこの地に入っています。
日向にいた時の神武天皇の言葉です。
「さてまた塩土の翁(おじ)に聞くと『東の方に良い土地があり、青い山が取り巻い
ている。その中へ天の磐船(いわふね)に乗って、とび降ってきた者がある』と、
思うにその土地は、大業をひろめ天下を治めるによいであろう。きっとこの国の中
心地だろう。
そのとび降ってきた者は、饒速日(ニギハヤヒ)というものであろう。
そこに行って都をつくるにかぎる」
そして東征となります。

ニギハヤヒは物部氏の先祖です。
これはどういうことでしょうか。
私も最初は先住民がいて当たり前と思っていましたが、そうではないようです。
すっかり人間界に馴染んだ神武天皇よりも、天上界から降りて間もなくの人物で
天に直結しているのです。神により近いとまで描いているのです。

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ニギハヤヒは記紀ともに物部氏の先祖としますが、ホアカリと同一神とする説が
強くあります。
ホアカリは古事記、日本書紀本文と引用文献の3種でニニギとの関係が親であっ
たり、兄であったり、弟であったりとそれぞれ違っています。
また広範囲にその影響力が及んでいることが分かります。

当時(西暦100年ころ)のヤマトを見ると唐古鍵で大型銅鐸の生産をしていま
す。すぐ近くには遥か昔から続き、後に国家的規模となる三輪山もあります。
物部氏はこうした祭器生産、三輪山祭祀に関わっていたために大和政権において
重要な役割である神の声を聞く祭祀を担っていたのではないか。

そして物部氏が大きな活躍をするのは尾張と大和の協調の時代が終焉を迎え、尾
張が大阪湾への侵出を図った時だと考えています。
次回はこの辺りに触れてみます。
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