
4大勢力の分布図を見ながら、神武天皇の統制経路は上記のようではなかったかと
考え始めました。
当時の外洋航海は陸地から離れず進みます。リスク回避もありますが食料、特に水
の補給などが必要だったのでしょう。
瀬戸内勢力の吉備は北九州勢力に対抗しており、瀬戸内東部勢は尾張の西進を止め
ようと策を尽くしてしていました。
鉄器の流通量を調べると2世紀の初め、日向の北側にある肥後、豊後には魏志倭人
伝の名前でいう奴国、伊都国から鉄器が多く渡っています。
言うなれば仲間です。
日向にはほとんど渡っていなかった。相手にされていないのです。
図から言えるのは日向勢が大和へ向かおうとすると、銅矛・鉄器という強い関係が
あった豊後勢が守るここ豊後水道を突破することは甚だ難しかったはずです。
「古事記に秘めた願い」では瀬戸内海の航行を考えていたのですが、そうではなく
四国南側を通り、紀伊水道を目指したのではないでしょうか。
記紀においては武勇を語るために、北九州に立ち寄りその後瀬戸内海を悠々と渡
り大和に向かいますが、この分布図を見るとそれは無理だったと思わざるを得ま
せん。
次回は大和入りのシナリオを考えてみます。
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