NHKのブラタモリ(2016/11/12)は真田丸スペシャルで大坂城の周辺を歩いて いました。大坂城は上町台地の先端にあり、難攻不落の城であった理由を探ると いう内容でした。 そこでふと、浪速の海は内陸まで入り込んでいたこと、大阪上のすぐ南には難波 宮があったことが分かっていますので、ちょうど作っていた古代の地図と重ね合 わせてみようと思いました。「大阪平野のおいたち」梶山彦太郎・市原実著 青木書店より引用しGoogleMapと合成 邪馬台国頃の時代、3世紀の地形図を後世に造られる難波宮を基準に重ね合わせ ました。 大阪平野の大半は当時、河内潟、河内湖と呼ばれた海でした。 記紀によれば神武天皇はこの内陸まで大きく入り込んだ河内湖まで船でやって来 て、白肩の津に停めたとあります。 生駒山に近かったようですので、グーグルの地図で寝屋川市、168号線の表示 がある辺りでしょうか。 この後、長柄砂洲の先の部分は消失していき、難波宮の近くまで海となります。 その先端の三方を水に取り囲まれる場所に大坂城は建てられました。
~大坂城はなぜ難攻不落?~
放送日:2016年11月12日(土)
再放送:2016年11月16日(水)午前1時~(火曜深夜)今回の舞台は、名城として知られる大坂城。
豊臣秀吉が天下統一の拠点として築いた大坂城は、当時“日本で最も堅固で難攻不落の城”と呼ばれるほど。1614年の大坂冬の陣では、“真田丸”という出城を築き、徳川の大軍を撃退した事でも有名です。