2011年の昨日(11月11日)に大きく取り上げられたニュースです。 "邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀 前半としては国内最大の建物跡が見つかり、市教育委員会が10日、発表した。" 当時はまだ纏向遺跡や箸墓古墳の年代を3世紀前半から半ばとする説に異論も多い 時期でした。 年輪年代法という出土した木材の年輪から、その木材が切り出された時期を特定す る方法が始まっていたのですが、日本は年輪形成の地域差が大きく、弥生時代とい う古いサンプルが取りづらく、当時は奈良県立考古学研究所の研究員一人のみが出 来るといった状況でした。 その為に「一人しかできないのでは検証もできない」、「年代決定の詳細プロセス を公開すべき」との声がたいへん大きくなりました。 決定プロセスはなかなか複雑で説明も難しかったのでしょうか、公開されませんで した。 こんなものは科学ではないとの非難の声が益々強くなっていきました。 最近のスタップ細胞現象のような感じでした。 それから思うとこの5年でなんと考古学の進展は目覚ましいものがあったことか。 隔世の感を持ちます。 当時の新聞を探したところ、佐賀新聞のみがまだサイトにアップしてましたので、 ご紹介しました。
佐賀新聞の県内ニュース
情報源: 奈良・纒向遺跡に大型建物跡 卑弥呼の宮殿か/佐賀新聞ニュース/The Saga Shimbun :佐賀のニュース