本を読んだ方から質問をいただきました。 面白い視点もあって参考になりましたので、ご紹介します。 1.神武の東征について ・なぜ大和へ? =>・何らかの“資源”があった? ・それとも、追い出された?たまたま流れついた? 先週、奈良に行ってきました。 そこで見たものは災害の少なさ、豊富な水、広大な土地でした。 山から遠い平野で心配なのは水の確保ですが、1m少し掘れば水が湧いて出てき ます。 つまり大きな生産能力を有する地なのです。 魏志倭人伝によれば投馬国(吉備と思われます)は4万戸、邪馬台国は7万戸と あります。 こうした急速な発展を支える地域がこの大和であったのだと思いま す。 ここには縄文時代より唐子鍵集落がありました。 銅鐸の生産地でしたので、その地域の豊かさについては広く知られていたのでし ょう。 神武東征伝説が生まれたのは、 瀬戸内勢が東海勢の西進を止めるために、日向勢 の力を借りた結果だと私は解釈しています。 2.卑弥呼について ・大和と出雲の同盟の証。実権なくとも政治利用 =>・人質に取ったのでしょうか? 人質説は面白い仮説ですね。 邪馬台国建国当時は出雲の勢いは大きなものでした。 出雲から人質を取れるとすればその後の台与の時代だったでしょう。 卑弥呼の時代は無理だったと思います。 そうすると倭国大乱で支配下に置いた北九州から連れてきたという可能性は考えら れます。 政情の不安定さから、安定のために人質を取った。 また北九州は一度他国に開放した大陸との交易を2世紀前半に閉ざしました。 これにより出雲、東海、瀬戸内勢は北九州に攻め込み倭国大乱となりました。 再び閉じさせないように、約束を守らせるために人質として卑弥呼を連れてきたと いうことはあり得ない事ではないと思います。 ただ30国にも渡る国々が女王として共立するかというと、どうでしょうか。 少々難しいのではないでしょうか。 60年間にも渡る安定政権でしたので、人質説は今のところ採用していません。 ほかの質問はまた別の機会にご案内します。