古事記で伊勢の大神宮と共に神宮(かみのみや)と呼ばれる石上神宮にやって来ま した。 ご祭神は布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)です。ご神体の布都御魂剣( ふつのみたまのつるぎ)に宿る神です。

神武天皇が熊野で苦戦しているとき、タケミカヅチノ神が 「まぁ、私が出ていくまでもないでしょう。代わりにこの剣を下ろしましょう」 と、出雲を制圧したときに持っていた布都御魂剣を下しました。 神武天皇がその剣を受け取った時、手に取っただけで敵の神々は全て切り倒されて しまいました。 この地はその後、物部氏の管掌下にあり、大和政権の武器庫であったとも言われ ます。

下の写真は拝殿です。 この後ろにある本殿がありますが、19世紀に造られたもので、それまでは大神神 社と同じように本殿がない古い信仰形態の神社でした。 剣、盾などを埋め禁則地とし、そこを信仰の対象としていたのです。

大きなしめ縄はありません。摂社なども見て回ると「紙垂」や「榊」を重要視して いるようでした。 どうも第一印象は神社の形態がしっかりと確立した伊勢神宮と、神奈備という本殿 を持たず三輪山をご神体とする古い信仰形態を残す大神神社の中間に位置する神社 のような感じです。

ここを見て思ったのは、古代最大の謎の豪族「物部氏」の盛衰の歴史を解き明か してみようということでした。