日帰り観光都市 奈良はかつてはなぜ日本の都だったのか

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奈良は宿泊せずに日帰りで訪れる人が多い都市です。
平成17年度と少々古いのですが、厚生労働省が発表した宿泊施設数、客室数の
調査があります。
鳥取、佐賀と最下位を競っています。
近くの京都や大阪に泊まって奈良に来てもその日のうちに帰ってしまうようです。

都道府県別宿泊施設 PDFです。

ご存知のようにかつては平城京から平安京に遷都する794年まで、この地は
日本の都でした。
なぜそうだったのか、なぜ遷都したのかを「地形」から検討した方がいます。
竹村公太郎「日本史の謎は『地形』で解ける」PHP文庫*より紹介します。

かつて大阪湾はもっと内陸まで入り込んでいました。
神武天皇が船を停めた場所は白肩(枚方)とも言われます。
現在、大和川は堺市の方に流れていますが、これは後世人の手によって変えら
れたものです。
以前は大阪湾から大和川で奈良盆地まで船で行けたようです。
つまり奈良盆地は大阪湾、瀬戸内海を通り弥生時代に隆盛を誇った北九州、そ
して対馬、朝鮮半島・大陸と繋がっていました。
地理的にも日本の中心であり、交通路としても先進国への交通の要衝の場とし
て、日本の都に相応しい場所だったのです。
邪馬台国は7万戸の家々があったと魏志倭人伝は伝えます。

ところが飛鳥から藤原京へと移りながら大きくなっていったこの地には、弱点
がありました。
大和川の流域面積が小さかったのです。
つまり養える森林面積が小さく重要な燃料でもあった木材需要に供給が追い付か
なくなりました。
森が荒廃すれば水不足や洪水などの災害も起こります。

そこで794年に桓武天皇は流域面積の大きい淀川流域の京都へ都を移したと
考えられます。
一つの面白い見方だと思います。

*:竹村氏の本シリーズ2013年発行のものです。

 

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