
邪馬台国は連合体でした。そのトップである女王は卑弥呼です。
では、畿内説を仮定した時にその首都である大和に王はいたのでしょうか?
推測を進めるとどうも存在したようなのです。
松尾光氏が「現代語訳 魏志倭人伝」新人物文庫での指摘です。
対馬国、伊都国、奴国、狗奴国などなど主要な国の説明においては「国名」
「官はXX、副官はXX」としているが、もしこの官を従来の理解のように官僚の
ような職務名とすると、敵対していた狗奴国も女王国からの官を受け入れてい
ることになり矛盾する。
この官は王として良いのではないか、と言うものです。
これはたいへん重要な視点です。
魏志倭人伝より狗奴国の例を見てみます。
其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王
その南には「狗奴国」がある。男子を王としており、官には「狗古智卑狗」
がある。この国は女王に服属していない。
「狗古智卑狗」というのはその地で呼ばれる首長名ではないか。
そうすると邪馬台国はと言うと
南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支
次曰奴佳鞮可七萬餘戸
南にいくと「邪馬台国」に至る。女王の都する所。水行十日と陸行一月。官は
「伊支馬」と言い、次を「弥馬升」、次を「弥馬獲支」、次を「奴佳鞮」とい
う。七万余戸ばかり。
宗教者である卑弥呼は連合体の女王として存在し、大和国の政治を担う政治指
導者「伊支馬」がいたと考えるのが自然だと思います。
ヒメ・ヒコ制にその源流が見られます。
一説にあるような超能力を持つ巫女「卑弥呼」が弟と二人で30ヵ国ほどの連
合国を切り廻していたというような説よりは、よほど現実的でしょう
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