宮崎県のほぼ中央部にある西都市の西方に西都原古墳群があります。
特別史跡公園 西都原古墳群ホームページより借用
少し前の歴史や古事記、日本書紀の解説本を見ると 「神武天皇(かむやまといわれひこのみこと)は日向の地に生まれ、その後東征 し大和国を建国した。 なぜ日向の出身としたのか。 それはその地名が日に向かうとあり、皇祖である天照を代々祀る系譜に相応しい 土地であるから。 そのため神武東征伝説には信憑性はない」 といったことが書かれています。 宮崎大学により西都原古墳群81号墓の調査、2005年にその報告が行われま した。 第2古墳群の81号墓の築造年代は3世紀半ばから後半にかけてのものと分かり ました。 これは大きな衝撃でした。 81号墓は前方後円墳です。 その古墳が箸墓古墳とほぼ同じ時期に、邪馬台国の台与がまだ現役の時代に築造 されたというのです。 天照大神の生まれも日向。 イザナミ命が黄泉の国から逃げ帰り、日向の阿波岐(あわき)原で禊(みそぎ) をした時に生まれました。 そうすると記紀編纂者は遠い昔に日向と大和において何らかの関係、それも強い 関係があったことを知っていたと考えざるを得ません。 大和建国は2世紀初頭と見られますので、この件だけで神武東征伝説が本当であ ったとは言い切れませんが、ただ家の出自の伝承は残り易いものでしょう。 神武東征は記紀に書かれるままのものではないでしょうが、事実であった可能性 が見えてきます。