崇神天皇
崇神天皇は実在した可能性がある最初の天皇と言われます。 その姿を記紀、遺跡などの資料に求めてみました。 途中ですが、いま言えるのは古事記に書かれた崇神天皇は実在の可能性があると いうことです。 崩年干支(ほうねんかんし)という崩御された年を10干12支で表す方法があ るのですが、古事記からは318年没というメッセージが読み取れます。 正確な年を表しているとは決して言えません(これは通説)が、注目すべきは邪 馬台国消滅後に現れたとしている点です。 邪馬台国の最有力候補である纏向遺跡は4世紀初頭に突如人がいなくなります。 遷都したようです。 日本書紀の場合、神功皇后は卑弥呼、台与の時代であることを本文中で明らかに しており、崇神天皇はその前にいた天皇としています。 記述内容も四道将軍を全国に派遣し平定しており、倭国大乱を治めた王としての 姿が色濃く出ています。 紀元前100年頃に即位しています。 古事記と日本書紀によって崇神天皇の姿は大きく変わります。 詳細な説明は稲荷山古墳で見つかった鉄剣にあるワカタケル大王名が刻まれた銘 文から始める必要があるので、まとめるのに少し時間が掛かりそうです。 後日お話しします。 また古事記の記述通りに読めば、大和・柳本の行燈山古墳に葬られたと見ること ができます。