ヒメヒコ制と卑弥呼

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邪馬台国は卑弥呼という宗教者を各国が共立したとされますが、唐突にこうした
制度が現れたことに少々違和感を持っていました。

腑に落ちたのは「ヒメヒコ制」の存在です。
ヤマト王権が成立する前、弥生時代には祭祀的女性集団の長(ヒメ)と軍事的男
子集団の長(ヒコ)が共立的あるいは分業的に一定地域を統治していたとする「
ヒメヒコ制」があったとされます。
これが根底にあれば連合体制として巫女をトップとし、それを補佐する政治体制
を持つことは突拍子もないこととではなかったと思えます。
また畿内を中心とする地域の「ヒメ」は銅鐸を祭器として使っていたとすれば、
その後国家的な祭祀として「鏡」に遷り変っていった可能性も見えます。

台与の次の時代、より強力な統治のために神の声を聞く巫女から、政治指導者を
「大王」とする体制の変更に臨むことになります。
その成立は初期の古墳が多く残る大和・柳本古墳群から北部の佐紀古墳群に移行
した4世紀後半ではないか。
このとき最終の意思決定者が神から政治指導者へと移行し始めたからこそ、三輪
山を中心とする神域から外に出られたのはないかと思うのです。

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