7世紀の仏教による統治の始まりと終わり

善光寺 御霊(みたま)灯篭祭
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6世紀半ばに仏教は日本に渡って来ました。
7世紀の推古朝から天智朝の宮においては王宮と寺院が一対の関係で造られてい
ます。
この時代、それまでの「氏」制度に変わり仏教は君臣統合の論理として有効に働
いたようです。
7月の盂蘭盆会も推古天皇の御世には4月の仏誕会と共に既に始まっています。

では、そのまま日本は仏教国とならなかったのは何故でしょうか?
天武朝から始まるより強固な統治基盤となる律令制においては、王を含めて全て
の民は救われる「一切衆生」という大乗仏教の概念が邪魔になりました。
律令制を成り立たせるためには国の土地、民は王のものであるとする「王土王
民」へ遷らなければなりません。
天皇を天孫として、大君は神になるために日本の神々に人格を与える記紀編纂は
必然のものだったのです。

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