天武帝御影
成立の経緯を記す序によれば「古事記」は、天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」 していた古い伝承を太安万侶が書き記し、編纂したものと言われます。 これはあり得ません。 なぜかと言えば、それまでの日本の神々姿は寡黙であり、卑弥呼のような巫女が その意思を確認する存在でした。 人のように人格を持ち、言葉を話す神々の誕生は6世紀半ばに渡って来た仏教の 影響を強く受けたものです。 つまり稗田阿礼が暗唱しているはずはなく、記紀の企画・構想の段階で作られた ものです。 記紀編纂が残したものは「書」の成立だけではなく、神の姿を変えたいわば 「宗教改革」であり、それに合わせた「神社建立」の開始でした。 一大国家事業だったのです。 天武天皇が言われたという 「伝わっている間違った歴史の偽りを削り実を定めて、後世に伝えたいと思う」 これを実践したのだということを示すために、説話は創作ではなく一人が覚えて いたことを記したのだとしたのでしょう。