フェースブックの知り合いの方から石川県七尾市にある万行遺跡の現地情報を頂 きました。 縄文時代から続く遺跡ですが、特筆すべきはやはり古墳時代初頭にあった6棟から なる大型建物群跡です。柱穴は長辺が1.5mに及ぶ大きなもので、直径40cmの太い 柱が使われていたと推定されます。 古墳時代初頭と言えば邪馬台国の台与の時代ですが、大和ではなく出雲のより強い 影響を受けていたのでしょう。 これらは倉庫群もしくは祭祀場だったようです。大型の建物と言えば出雲大社、中古の時代48m級の社殿であったと言われ、 上古の時代には96mだったと伝わります。現在は24mです。 48m級の出雲大社の社殿(想像復元模型)
鳥取県ではこのような大型建物の弥生時代の線刻絵画も出土しています。 稲吉角田遺跡出土の弥生式土器
四隅突出型という出雲独特の墳墓の日本海沿岸諸国での分布と合わせ、山陰から 新潟辺りまでの各地域の強い繋がりを思わせるものです。 文献では古事記にあるスサノオが退治した八岐大蛇は高志(越、福井~新潟) から来たともされ、大国主はヌナカワハ姫を后にするために高志に赴きました。 気多大社の伝承は「能登を開いたのは大国主である」と伝えます。 遺跡、伝承は昔は「海」が重要な交通路であったことを思い起こさせます。 大型建物群はその後、首長の宮となり、古墳へと変わります。 万行遺跡の重要性はこの一カ所で倭国の歴史を追いかけることが出来ること。 また出雲を中心とする日本海文化圏なるものの存在を確信させ、その姿をおぼろ げながら示してくれる場所であることと考えます。