タケミナカタ神と御柱

   延喜式 神名帳

延喜式諏訪PPT

延喜式という平安時代に編纂された法令集です。その中に「神名帳」という神社
の一覧があります。
諏訪大社の古名を調べてみました。
諏訪郡には二座しかなく「南方刀美神社」とあります。「みなかたとみ神社」と
読むのではないでしょうか。
出雲から来たタケミナカタ神と繋がります。
そこで思い出すのが日本版王家の谷と呼ばれる西谷墳墓群です。

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四隅が出っ張っている「四隅突出型」という独特な形をした墳墓です。
2,3世紀に出雲の西部から中央部にかけて影響力を持っていた王族の墓のよう
です。
島根県立大学の調査で築造時には、この上に4本の大きな柱が立てられていたこ
とが分かっています。
古事記にある建御名方神(たけみなかた)の諏訪への逃避行。
当時大陸・半島からの先進物を独占していた北九州と近い地理関係にあった出雲
は先進国でした。タケミナカタはこの先進文化を諏訪へもたらした。
巨木祭祀という縄文文化は弥生時代になり途絶えていたが、出雲の墳墓の慣習が
諏訪に流れ、御柱が蘇ることになった。

どうでしょう。NHKが言う縄文文化と弥生文化の衝突という説よりは現実的な
気がするのですが。
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