人格を持つ神への変遷

古事記、日本書紀に出てくる神々は人(神?)格を持ち、人のように話をします。
今の私たちは当たり前のように受け止めますが、卑弥呼の時代にはあり得なかった
ことです。
昔、山や大きな岩、木に宿ることもありましたが、原則どこにおられるかは分からず
「神」は浮遊する神でした。
卑弥呼のような巫女が時々占いで意思を確かめる寡黙な神でした。
その神の在り方の変遷を追いかけてみます。

「古墳入門」(幻冬舎)の著者である広瀬和雄氏の説の概要です。
「まず大きな変化は5世紀後半に起こります。
『肉体と魂』はそれまでは一緒のものだったのです。王が亡くなると厳重に埋葬し
カミとなり、共同体の繁栄にその力を借りようとしたようです。
5世紀も末に近くなると須恵器の壺や高杯など生活に必要な器財が副葬されるように
なりました。大陸・半島から霊魂感が入って来たためです。
『肉体』と『魂』が分かれ始めました」

そして6世紀半ばには仏教がやって来ました。
仏教の伝来は国の混乱も招きましたが、結局日本で信仰の一つとして根付いていきま
す。
ところが仏教が与えた影響はそれだけではありませんでした。
当時のエリートであった記紀編纂者たちへ大きな影響を与えたのです。
このとき神々が人格を持ち始めたのです。

 ちはやぶる神々に おわしますものならば 哀れに思し召せ 神も昔は人ぞかし

梁塵秘抄の一句です。平安時代末期にはこの考え方はすっかり根付いていたようです。
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