伊勢神宮と熱田神宮はなぜ今ある場所に建立されたのでしょうか。 伊勢神宮は日の神とも言われる天照を祀るために、大和から近い東に開けた海岸線を選んだと いう説があります。 それはいくつかある理由の一つだと考えます。 一社ずつではなく二つの宮を両方同時に見る必要があるのです。
伊勢神宮
- 伊勢に建てたのは、 天照の生まれは日向の阿波岐原という海岸近くであり、神武天皇の出身も日向です。そのため日に向かうこの地は皇祖を祀るに相応しい地であること。
- 強大な敵であった東海勢を制圧したことは大和の全国制覇の契機となりました。その平安が続くことを願う神宮を建立するのに東海を見降ろすこの場所が適していること。
- 大きな信仰の場は昔から何らかの自然信仰があった場合が多いのです。戸隠・飯縄の竜神、飯山の水分神など水源地に関するもの。また九州の沖ノ島のように交通の要衝などです。ここ伊勢の地は水源地でもあり、東海地方との交通の要衝の場でした。いわゆる信仰の基盤があったこと。
熱田神宮
- 熱田神宮のご神体は「草薙の剣」です。大和政権が東海地域を鎮圧した武の象徴とも言えます。
- そのために濃尾平野のどこかに置くべきです。熱田神宮のある場所は今は街の中ですが、建立当時、神宮の目の前は海だったそうです。つまり伊勢神宮と熱田神宮を伊勢湾を挟み並び立たせることで、天の安河で天照とスサノオが対峙した神話をイメージさせること。 そのためにこの地を選んだと考えます。(地図参照)
古事記に「武の象徴」という考え方の参考になる記述があります。 神功皇后は朝鮮半島に出兵しました。 「皇后は新羅の国を服属させると御馬飼としました。また百済の国を屯倉*として定めました。 その際に御杖を新羅の国王の家の門に立て、住吉三神を以て国の守り神としてお祀りし帰って 来られました」 *:屯倉(みやけ)とは直轄領のこと 私はこの記述と熱田神宮の剣の祀り方に共通のものを感じます