鬼道と天を祀る祭祀

魏志倭人伝にある「鬼道に事(つか)えよく衆を惑わす」とはどういう意味でしょう
か。
近年、東アジアにおける倭国の位置づけといった研究の進展により、明らかになっ
てきたことがありますので紹介します。
また後世、記紀編纂時に現れた天を祀る「天皇祭祀」との違いを比較すると分かり
易いので、これらを[古代史シンポジウム「発見・検証・日本の古代」編集委員会,
 2016/7/25]より磯前順一氏の指摘からまとめてみます。

「鬼道」とは何か。
後漢書で「鬼道」を「鬼人の道」と言い換えてる。「鬼」は死んだ人の魂、「神」
はその通りに「神」、「道」とは祀る方法であり、「鬼道」とは鬼人の祭祀、死者
の霊魂や、海や山の神々を祀るものである。
片や天の祭祀、天の神の代表は天照大神であり、天皇はその末裔で天に通じる存在
である。つまり現人神として天を祀り、また祀られる存在である。よって万世一系
の概念が重要性を帯びてくる。

これらの視点、指摘は極めて注目すべきことです。
卑弥呼はなぜ記紀にそのまま登場しないのか。
一時、熱烈な仏教崇拝に走り君臣統合の論理としても利用したにも関わらず、なぜ
そのまま仏教国とならなかったのか。
従来の疑問を解く鍵となります。

まず卑弥呼を隠し通した理由ですが、記紀編纂者たちは「鬼道」を理解していたの
でしょう。
卑弥呼は現人神ではなく、神の声を聞く巫女的な存在であり、2~3世紀において
倭国に天の祭祀は存在していなかった。
これは天に繋がる万世一系の概念から外れるものですので、律令制を目指す記紀編
纂時代においては排除せざるを得なかったと見られます。
律令制を国として実施したのは日本だけです。
なぜ日本は出来たのか。
仏教、大乗仏教は「一切衆生」を唱えます。つまり全ての人は平等であり、全ての
人は救われる訳です。
ところが律令制に必要な思想は「公地公民」でした。全ての土地、民は天皇に属す
る。天皇だけは特別な存在であるということ。
仏教とは相反するものを必要としました。

この考え方を日本に根付かせるため、仏教を全て採用するのではなく記紀を編纂し
「万世一系」、「現人神」の考え方を表したのです。 

ほぼ同じ時代の歌人 柿本人麻呂の歌にもこの思想はよく表れています。

大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬(いお)りせるかも
 

 

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