ヤマト国の始まりを考える(9) 古代史の亡霊

 物部守屋

大和の始まり、建国当初の状況を検討しようとするとニギハヤヒ(物部氏の祖)
は避けて通れません。
そしてニギハヤヒ、物部氏の実体を知ろうとすれば大量の情報(本、文献)と向
き合うこととなります。
ここの調査を2か月ほどやって、見えてきたことがあります。
それがニギハヤヒにまつわる亡霊です。
大きく二つあります。
一つは「ニギハヤヒ=大物主」説。
原田常治氏という昭和期の出版事業家で、講談社『講談倶楽部』編集長をつとめ、
その後「婦人生活社」を創立した人物の説です。
氏が唱えたのはニギハヤヒは三輪の大物主神であるという1976年に出された
ものでして、これが当時おおいに受け、古代史ブームを巻き起こしました。
内容は各地の神社の名称などを調べ、推論に推論を重ねたものです。
今ではほとんど顧みられることは無いのですが、時々高名な研究者(?)、歴史
家が賛意を示し、自著に取り上げています。
ここで説明する価値はないと考えます。
もう一つは「ニギハヤヒ東遷説」です。
鳥越憲三郎氏、日本の民俗学者、歴史学者が唱えた説です。
北九州の地名と物部一族の名前に一致する点が多いところから始まり、物部氏は
九州を出て大和入りをしたとするものです。
この説は今も何人かの歴史学者、文献史家の支持を集めています。
多くの本が出版され続けています。
ただ私は、この説は地名に負うところが多いこと(よく変わる)、先代旧事本紀
という偽書とされる書を論の主体としていること、文献史学によく見られる細か
い論理の積み上げの繰り返しの末、想像で飛ぶところも多く、そのために納得感
が乏しく支持は出来ないと結論付けました。
そこで次に進むための方法ですが、この説の批判から始めるのも一つの手として
ありますけれが、それは得るものがあまりに少ないと思えるため、止めることに
します。
自説を展開することにします。
やり方ですが、東遷説の基盤に強くある文献史ではなく、今まで通りに考古学お
よび歴史の流れを中心に検討することにします。

今考えている「あらすじ」
・ニギハヤヒは奈良盆地の在住の一族であり、唐古鍵にて祭器の生産に携わって
 いた。(この地で大きな勢力と言えば唐古鍵と無関係とは出来ないため)
・尾張国とも良好な強い関係を持っていた
・それ以上に瀬戸内海勢力との関係は強かった。
 これらは大型銅鐸の生産量、分布場所の広大さから言える
・尾張・東海勢力が鉄や鏡などの先進文物を手に入れるため、奈良盆地に進出
・その尾張の西進を止めるために瀬戸内海勢力(東部)を中心にこの地の奪回に
 乗り出した。
 魏志倭人伝、日本書紀の記述から西暦100年頃と考えられる
・後に物部と名乗る一族は、この争いにおいて尾張勢ではなく瀬戸内海勢力を支
 持した
・その功績のため、後世に記紀に天孫族として記される破格の扱いを受ける一族と
 なった
・大和政権においても大きな勢力を持ち、祭器の生産に携わっていたことから、軍
 事・祭祀担当として、三輪を中心とする王族の隣、石上で繁栄を誇った

次回からこのセンでニギハヤヒを描き出そうと思います。
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