伝承は何年くらい伝わり・残るものか

神話と考古学の間 創元社 (1973)  末永 雅雄, 三品 彰英, 横田 健一

このところ物部氏の出自について、なるべく推測を交えずに語ることが出来るよう
にと様々な本を当たっています。
ただ多くの人たちが関心を持ってきた一族ですので、その量が半端ではありません。
少々時間が掛かります。
そこで今日はそんな調査の中で見つけた一つの説をご紹介します。
タイトルにある「伝承は何年くらい伝わり、残るものか」というものです。
「神話と考古学の間」という末永氏という考古学者と文献史学の先生たちの対談集
で、この点に触れています。
結論から言えばおおよそ400年と言っています。

末永先生という方は故人ですが、橿原考古学研究所の初代所長を務めた方です。
大学を出ずに色々な経験を積んで来られた異色の人物です。
ある時、町史編纂に関わっていました。
その家に伝わっていた話しを調べてみると、数百年前に実際にその通りだったと
いうことに出会われたそうです。
神武天皇は橿原の宮で即位したと伝わりますが、これは作り話しで橿原の宮は想
像の産物とされていました。
ところが昭和13年から始まった末永先生も加わった調査で縄文から弥生時代に
掛けての遺跡が発見されました。
現在の大鳥居の付近では、大きなカシの木の根も出てきました。畝傍山あたりか
ら持ってきた土で、土地の高低を調整し大きな広場を作ってお祭りをしたらしい
のです。その時の一群の土器も出てきました。
末永先生の話しでは、弥生の終わり頃1世紀辺りと見られる土器も出てきたので
す。
日本書紀には神武天皇が
「見ればかの畝傍山の東南の橿原の地は、思うに国の真中である。
ここに都を造るべきである」
と言われ都造りに着手したとあります。
私は神武天皇の即位年、辛酉を121年と見ています。
調べれば調べるほど奇妙な一致が出てきます。
庶民の家の話しが数百年残っていたとすると、皇家や大きな豪族の伝承などは、
より残り易いと考えていいでしょう。
記紀には考えていた以上に史実が含まれていた可能性があります。

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