平原王墓と八咫鏡

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     平原遺跡入口と一号墓

魏志倭人伝の伊都国であろうとされる糸島市にある平原遺跡と一号墓です。
この王墓からは直径46.5センチメートルの鏡5面を含む鏡40面をはじめとし
て多数の出土品があり、その全てが2006年に国宝指定となりました。
副葬品の多くが勾玉や耳飾りなどの装身具で武器が少なく、女王であっただろう
とされます。
特に大型内行花文鏡(内行花文八葉鏡)は八咫鏡と同じサイズであろうと見られ
ます。
八咫の咫(た)とは諸説ありますが「中背の女性の掌の下から中指の先までで、
おおよそ18cm」とされます。
八咫は144cmとなりますが、これは直径とすると大きすぎて出土例もなく、
鏡の入れ物である箱にも入らないのです。直径とは考えられません。
どうもこの値は円周のようです。
円周144cmではπ(3.14)で割ると径46cmとなり、いわゆる二尺鏡となり
ます。
副葬品、鏡のサイズなどからここを卑弥呼の墓とする研究者もいます。

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現在では箸墓古墳の築造年代、纏向遺跡の特殊性とくに2011年に発見された
国内最大の建物跡の発見などから、考古学者のすう勢は畿内説に傾いているようで
す。しかしそれまでは邪馬台国という大きな勢力を持ち得るのは、ここ北九州しか
ありませんでした。
邪馬台国の姿を伊都国に求めたのも至極当然とも言えます。
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