三種の神器の変遷

延喜式を手に入れたのは熱田神宮を調べるためでした。
なぜか冷遇されているとしか思えないのです。
尾張国の一宮は真清田(ますみだ)神社で、熱田神宮は三宮。
祭神である熱田大神は何者か良く分かっておらず明治政府が天照大神のことと
見解を出しました。
神社から神宮と改められたのも1868年(慶応4年)からです。
1890年(明治23年)、神器を祀る社として伊勢神宮と同格にする旨の案が熱田
神宮より閣議に提出されましたが認められませんでした。
同じように剣を祀る石上神宮は日本書紀において既に神宮として書かれます。

そこで出てきた疑問が「三種の神器」とは何モノなのかという事です。
記紀に「三種の神器」という言葉は出てきません。
古代においては今の私たちとは違う認識を持っていたのではないか。
天孫降臨時には鏡、剣、勾玉を渡した天照はニニギへ鏡の重要性を説いていま
す。
日本書紀では持統天皇即位時には臣下の忌部氏が剣と鏡の二種を献上したとあり
ます。
吾妻鏡によれば、1185年(元暦2年)の壇ノ浦の戦いで、安徳天皇は「三種の神
器」と共に入水したとされます。

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時代と共にこの三種の神器の見方も変わっているようです。
今の本の編集が終わったらこれを次の課題にします。

 

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